maruta2の日記

お肉屋です

今日思ったことちょっとすっきりしたかも

自分が自信を失った理由①

・今の自分の名前は石原泰平であるが、大学までは丸山泰平として生きてきた。このかつての名前が自分で気に入っていたが、両親の離婚で苗字が石原になった。自分は新しく出会った誰にあっても石原と呼ばれる。丸山(大学までの自分)は社交的なイケイケタイプだったが、石原は(社会に出て適応できなかった)社交的ではない性格。かつての丸山と石原が切り離されている気がするのでうまくいっていない。

 

泰平は平和という意味でこれも気に入っていたのだが、自分が一生会いたくない父親の名前が入っていることに気づいた。心から気持ち悪いと思ったし、自分が人生で成功するわけないと思った。成功とは楽しく充実して毎日を生きるということである。

 

自分が自信を失った理由②

教員のイメージ

・自己中心的で協力的ではない。頼まれたら手伝うが、自分から何かをするという行動が全くない。第一回の職員会議では小学部全体での仕事の振り分けの際に、誰も手を挙げず目が合わないようにうつむいていた。結果部主事が引き受けることになった。

 

・決められた枠(学習指導要領)の中の最低限の仕事しかしない教員が多すぎる。「文部科学省は地域に開かれた学校を作る」ことを目標にしているのにも関わらず、教員にはその認識が全くない。先日学校で地域のゴミ拾いをしようという行事が業後にあったが、参加する寄宿舎に住む児童と係わりのある教員、管理職しかいなかった。

→自分が教員が嫌いなのは、教員を志望する時点では願書や集団討論で地域、家庭と繋がりを大切にすることに共通認識があるのに、現場ではその認識がないことだ。教採は面接も、討論もただの「テスト」であり、その後の仕事に結びついていない。県の求める教員像の採用段階をクリアしている人はいるのだろうかと本当に思う。児童の発達心理学を押さえているだけでも子どもへの係わり方は変わってくるはずなのだが、みな知らない。

 

・いかに上手く手を抜けるかばかりを考えている。

・自分が主体的に生きていない。指示待ちや些細なことの決断に対して慎重すぎる。修学旅行に持っていく傘を借りるために事前に一声かけ、直前にもう一声かけるなど。傘だよ?かといって器具庫の備品などは勝手に借りている。

・自分が生活で身についていないことを子どもに教える。例えば「挨拶は大きい声でする」と指導する教員達の朝礼での挨拶は虫の声ほどしかない。通り抜け禁止と書いてある場所を当たり前の顔をして通行する。地域の人に挨拶をしない。

・座学は必要ないと思っているので勉強しない

・新しいことに対して超消極的

・児童の前で教員同士が雑談をする

・教員、介護員、看護師、養護教諭栄養教諭、事務職員の連携が事務的なこと以外ない。これだけ多くの職種が校内にいるのにもかかわらず、事務作業でしか繋がれないのが勿体ない。

・仕事が非効率的すぎる。修学旅行の下見に8人で行く必要ある?

・筋が通っていない。県のお金だから、100円単位の物や換気扇をずっとつけるな等と節約しろという割には、事務用品を定価で買っている(ガムテープが600円くらいしている)。馬鹿か。

・筋が通っていない。研修の制度があるが、休みを取って研修に行く。研修をした後、まとめることがフィードバックとなって身につくと思うのだが、誰もしない。

・保護者に気を遣いすぎてコミュニケーションの量が少なくなっている。

・教員の口癖「したいとおもいます」が嫌い。したいと思うじゃなくてするんだろ。子どもが嫌だって言ったらやらんのか。子どもが他人(教員)の気持ちに寄せるためとも取れるかもしれないが、子どもが嫌と言った時に教員側からの寄り添いがないので上下関係がある。教員の思惑に乗せる感が嫌。

 

今日はこんなもんにしよ